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  今週のお言葉  

 近とみに体の機能の衰えを実感する機会が増えました。ま、仕方がありませんな、今年で50歳になる訳ですし。読書には老眼鏡が欠かせなくなっちまいました。昔は何でもなかった完徹(完全徹夜)も、今では一晩でグッタリ疲弊してしまいます。若い頃と比べれば、ご飯を食べる量も減りました。そう云えばお酒も弱くなった気がするなぁ。

 中でも最も衰えが顕著なのが記憶力であります。ちょっとした漢字が書けなかったり、そもそも用事があって二階に上がった筈なのに、「あれ?俺、今何しようとしてたんだっけ」と、当初の用事を忘れる事すら御座います。嫌ですねぇ。オサ〜ン臭いですねぇ。

 脳も体の一部ですから、加齢とともに機能が低下するのは当然である事は、知識としては理解していても、実際に自分がそうなってみると、このまま一気にボケてしまうのではないかといった漠然とした不安に駆られます。

 しかし、こうした脳力の低下は、かなりの部分スマートフォンやPCといったデジタル機器によって補完出来るのも事実。私の場合、紙の手帳やメモはほとんど使いません。スケジュールなどはクラウド上のデータベースで管理する事で、PCやスマホやiPadで共有する方式を採用しています。スマホの電子辞書を使わない日はありませんし、その辞書にしても、見出し語の拡充度や用例の多さに引かれて、英和は大修館のジーニアス4、和英は同じくジーニアス3、国語辞典は三省堂の大辞林を使用しています。一旦こうしたまともな辞書を使ってしまうと、スマホにバンドルされていたショボい無料辞書なんかに戻る事など出来ません。以前、「スマホはもはや俺の臓器」という話題を挙げさせて頂いた事がありますけれど、私の場合「スマホはもはや俺の脳の一部」と呼んでも差し支えない位であります。

 忘れんように書いておこう。

 小野正嗣著「九年前の祈り」(講談社)からのお言葉です。直に頭で覚えておく必要なんてどこにも無いのです。メモが脳の外部記憶として機能するようにしてあげれば、それは脳力が向上したのと同義でありますからな。

 目が悪くなればメガネを掛ければ良い。それが我々の常識であります。そうなのです。原始時代じゃあるまいし、機能の衰えなんぞそれを補完してくれる機器に頼れば良いのです。私の裸眼視力は0.01と0.02でありまして、生活に支障が出る程のド近眼なのですが、コンタクトレンズを装着する事で両目とも1.2に矯正されています。パイロットや宇宙飛行士の場合ならともかく、普通に生活する分には全く問題ありませんものね。

 物忘れに対抗する手段として、昔は紙のメモを残す位しか方法が有りませんでした。紙のメモは短期的な記憶の為には強力に機能しますけれども、あくまでも単発的で原始的な記録ツールに過ぎません。現在は、スマートフォンをフロントエンドプロセッサとして活用する事で、膨大な量のメモや日程やアポイントメントをクラウド上のデータベースで管理し、しかもそれを瞬時に検索し取り出す事が出来ます。これはもう、容量的にもスピード的にも正確性においても、人間の脳味噌の能力を遙かに凌駕するマネジメント力な訳で、我々は多少の物忘れなど気にする必要もない時代に突入しつつあるのかも知れませんね。

 こうして考えますと、スマートフォンやPCやクラウドサーバこそ、我々オサ〜ン世代向けのアーキテクチャに他ならない事に気付きます。若い衆がLineで無駄なお喋りに明け暮れパズドラに夢中になって社交辞令的に「イイネ」を押しまくり、スマホをあたかもゲーム機か何かのようにしか使えていないのは、我々オサ〜ンのように脳の力を補完するツールとして使う必要が無いからなのかも知れませんなぁ。

 クラウドコンピューティングの為のフロントエンドプロセッサとしてのスマートフォンや、入力メソッドとしてのPOMERAは、私にとってはコンタクトレンズと同レベルの必須機器。もはや日常生活を維持する為の福祉装置に他ならないのでありました。Copyright (C) by Yas / YasZone

【つづく】

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