から30年も前の話で御座います。当時私は大学生で、長野県内で下宿生活を送っておりました。一応自炊派でしたが、きちんと料理する事はほとんど無く、自分でやるのは炊飯器でご飯を炊くくらい。あとは専らスーパーでコロッケなどの惣菜を買ってきておかずにしておりました。これとて、食事としてはかなり上等なほう。月末はインスタントラーメンだけで凌いだり、農協ストアで安売りのモロコシを大量に買ってきて、日夜それを茹でたモノばかり食べたりと、今考えると相当悲惨で貧相な食生活を強いられておりました。ま、当時は腹が膨れさえすれば、味や栄養バランスなんて、全然気になりませんでしたがね。
たまに沼津の実家に帰省した折に感じるのは、母親の作る食事の何とも豪勢な事!決して贅沢な材料が使われている訳ではなく、いわゆる普通の家庭料理に過ぎません。しかし下宿で食べていたモノに比べたら、手は込んでいるし、品数は多いし、味噌汁や漬け物はついているし、ちょっとした感動を覚えた事を、今でも思い出します。高校生の頃までは、こうした母の作った食事を、当たり前のものとして食べていたのですが。自炊をしてみて初めて、人に食事を作って貰える有り難さが理解出来るものなのかも知れませんね。
珈琲は自分で淹れるより人に淹れてもらった方が美味いんだ。
萩上直子監督作品「かもめ食堂」からのお言葉です。私は普段、外食はせず、朝飯と夕飯はかみさんの作ってくれた食事を一緒に摂り、昼飯はかみさんの作ってくれた弁当を持って、仕事場に出掛けています。炊事を手伝えれば良いのですけれども、私にはそういった家庭科的な才能が全く無いようで、100%かみさんに依存しているのが現状です。
唯一の例外が、コーヒーであります。Yas家ではコーヒーを淹れるのは、私の仕事なのです。かみさんは、私に向かって「Yasちゃん、コーヒー飲みたいよぅ」と云うだけ。暑い頃はアイスコーヒーを、寒い時期はホットコーヒーを淹れてあげます。豆は阿知波焙煎珈琲豆店のペルーティアラ。2週間毎に焙煎したてのモノを購入し、新鮮な状態を保っています。淹れる度にハンドミルで豆を挽き、ペーパードリップするのです。全ての炊事をこなしてくれているかみさんに対し、コーヒー位は淹れてあげようなどと殊勝な事を考えて行動している訳では決してないのですが、Yas家の場合、割と上手くこうした役割分担が出来ているのでありました。
【つづく】
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