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  今週のお言葉  

 ロナ禍が始まって早2年。一時的に学校閉鎖に追い込まれた時期もありましたが、小中高校は概ね通常の対面授業の形態に戻っています。そもそも学習がリモートのみで済むのならば、学校は(みずか)らの存在の必要性を失う事になりましょう。単なる知識の伝達ではなく、相手(生徒)の反応を見ながら演目(授業)の内容を調整するという意味で、学校の授業にライブ感は必須であろうと思うのです。そしてこうした傾向は、単純で基礎的な繰り返し学習よりも、より高度な学術領域で顕著であるべき事は自明であります。にも関わらず、肝心の大学が未だにリモート授業をメインとしている事は、どうにも解せない話ではありませんか。

 キャンパスライフという言葉が存在するように、大学は単に動画で映像を配信するだけの場所では無い筈です。ゼミに参加し、図書館に()もり、学食を利用して、生協で買い物をする。サークルを通じて学部や学科や学年の異なる面々とも情報交換し、実験が行き詰まった時など大学構内を散策して気分転換を図る。こうした総合的な行為が大学生活そのものであった筈。そしてこうした環境を享受する対価として、授業料は支払われているのであります。

 ところがほとんどの大学は、学校の設備の利用を制限し、リモートの授業を提供するだけで、しかし授業料は満額請求しているというではありませんか。これって、詐欺に近い行為なのではないでしょうか。利用出来ない施設や設備がある以上、その分は学生に返金すべきでしょう。いやそれ以前に、小中高校のように、パテーション設置や消毒や換気設備等の感染防止対策に投資し、通常運営を維持する努力を継続すべきであります。

 おかしなことだね。

 川上未映子著「夏物語」(文藝春秋)からのお言葉です。箱根駅伝や大学野球へはマスク無しで学生を参加させている癖に、授業やゼミは感染拡大防止を理由にリモートで誤魔化そうとする。これでは単なる体育サークル支援団体ではありませんか。最高学府として、研究機関として、その存在自体が社会から必要とされていると云いたいのならば、大学の運営を(いたずら)に縮小するのではなく、更なる設備投資をしてでも通常運用に戻す努力をすべきでしょう。これでは大学なんて社会にとって全く役に立たない無用な存在で、単に4年とか6年とか遊んで過ごす場所に過ぎない事を公言していると同じではありませんか。

 確かにモラトリアム期間として大学を利用する学生も存在することも事実です。しかしこれは、利用者である学生側の、授業料を払った上での一つの判断であります。国立大学はもとより、私立大学だって文科省から莫大な補助金を受け取っているのですから、リモート授業を多用し大学のサービス機能を縮小するというなら、学生には授業料を、文科省には補助金を、少なくともその一部は返還すべきでしょう。それだけではありません。教育目的に使用するという事で大幅に減免されていた税金についても、追加納付は必須です。このままではコロナ禍が大学経営にとっての最大の福音(ふくいん)となってしまうではありませんか。コロナで儲けるなんて、道義的に許される筈がありません。

 政府や自治体は、コロナ禍を理由に、営業の自由という憲法に定められた権利をも踏みにじって、あらゆる飲食店の経営に圧力を加えました。非常時だからある程度は仕方がないとは云え、大学を経営する学校法人に対する甘さとの対比は、目に余るモノがあります。限られたかけがえのない「学生時代」をリモート授業で誤魔化された学生に対し、何らかの返金をするのは当たり前でしょう。少なくとも授業料を満額請求するという大学側の厚顔無恥(こうがんむち)な態度は、早急に改めて頂きたいと思う次第であります。Copyright (C) by Yas / YasZone

【つづく】

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