検という言葉には特別な魅力を感じます。前人未踏の地を目指し、道無き道を進む。実際には、地球上に前人未踏の地など、既にほとんど存在しないでしょう。しかしそれでも、心意気さえ有れば探検は可能です。例えばバイクで日本一周してみるとかネ。自分にとって新たな発見が期待出来る行為、それは全てその人にとっての「探検」と呼んで差し支えありますまい。
今から40年ほど前、私が中学生だった頃、会社員や公務員の定年はほとんどが55歳でありました。確かに今に比べれば平均寿命も短かったのかも知れません。55歳という若さで仕事を辞し余生を好きな事に勤しめるという事に、魅力を感じない訳ではありません。しかし現実には定年後すぐに好きな事に打ち込める人は稀でしょう。ほとんどの方が再就職して、少なくとも年金受給開始までは働き続けると聞きます。私は自営業者ですので、定年もありませんし、故に再就職という考え方もありません。私にとって今の仕事は対価を得る為の労働であると同時に、有り難い事に、自分にとってワクワクする様な新たな発見が期待出来る機会、すなわち一種の「探検」でもあるのです。ですから健康でさえいれば、おそらく70歳を越えても、きっと今の仕事を続けている事でしょう。
探検は知的情熱の肉体的表現である。
アプスレイ・チェリー・ガラード著「世界最悪の旅−スコット南極探検隊−」(中公文庫BIBLIO)からのお言葉です。探検が知的情熱の肉体的表現である以上、知的な情熱や好奇心は必須として、健康の維持も重要な要件であるのは間違いないでしょう。今はまだフルに仕事をしていますので、バイクで日本一周などの大いなる探検に出掛ける事は無理ですけれども、健康を維持し、仕事を続けながら、細々した探検に日々勤しもうと考えております。
【つづく】
「今週のお言葉」の目次に戻る
「やすなべの目次に戻る」