い建物が取り壊された跡地に新しいビルが建ったりすると、元の状態がどうだったか思い出せなくなる事が結構あって、人間の記憶って実に脆弱なモノだなぁと感じます。50歳を過ぎて単に記憶力が低下しているのか、はたまた視覚からの情報というのは思いのほか強烈で、新しい風景を見続ける事で記憶が上書きされてしまうのか・・・、ま、その両方ともが原因なんでしょうな。
多摩動物公園から野猿街道まで、多摩都市モノレール下の道路が開通したのは10年くらい前の事ですが、開通前の状態をとんと思い出せません。多摩テックに向かうこの道を、しょっちゅう使っていた筈なんですけどね。新設された道路を使い続けるうちに、古い記憶が上書きされてしまったようであります。
私は静岡県沼津市の出身。高校卒業後、大学進学をきっかけに故郷を離れました。私が家を出た後、同じ市内ではありますが実家は引っ越しをし、元々実家のあったエリアには、それ以来現在に至るまでほとんど訪れた事がありません。当時は住宅地の中に田圃が残り、近所に牛小屋もありました。小学生の頃は浅間神社の南側の宮前公園と呼ばれる児童公園で、三角ベースをして遊んだものであります。故郷を離れて35年、あのエリアも相当変わった筈。しかし現在の様子を知らない分、記憶の上書きが発生せず、故に今でも当時の佇まいを鮮明に思い出す事が出来ます。
今でも、ときどき、思い出す。
原田マハ著「ロマンシエ」(小学館)からのお言葉です。中学の同級生や高校の同級生の中には、沼津に住み続けている人たちも結構居ます。故郷を離れた私の方が、沼津に住み続ける彼らに比べて、ハッキリと昔の様子を記憶しているのは間違いない事実でしょう。故郷を離れるという行為は、故郷の記憶とともに暮らすという事でもあるのです。
当時住んでいたエリアを訪れてみたい気持ちもあります。しかし現在の状況を目に焼き付ける事で、当時の記憶が上書きされてしまう可能性を考えると、思い出の情景を忘れないでおく為にも、行かない方が良いのかなという気持ちにもなるのでありました。
【つづく】
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