あれこれ memorandoms やすなべ categorized Yasの状況 activities Yasについて about Yas Yasへの連絡 contact us

  今週のお言葉  

 I : artificial inteligence、いわゆる人工知能が、何かと話題に上るようになりました。しかしソフトウエア開発経験の無い方を中心に、AIと単なるソフトウエアを混同していらっしゃる人が一定数存在しており、元IT技術者の私としては、そういった点が気になって仕方がないのであります。

 ソフトウエアとは、処理手順を事前に記述(プログラミング)しておいて、処理の自動化を図る為のものとして登場した概念です。入力するデータによって別の結果を得る事が出来るという仕掛けは、初めは単純なバッチ処理の為のスキームに過ぎませんでした。

 WindowsやMacやUNIX X-Windowの台頭をきっかけに、マウスなどの入力デバイスを使ってインタラクティブな操作が可能になり、ソフトウエアはぐっと身近なものに進化しました。それでもソフトウエア・プログラム自身はあくまでも固定であり、使えば使っただけプログラムの機能が自動的に向上する事など、基本的にはありませんでした。

 ソフトウエアの開発環境は徐々に便利になっていきました。スタックを利用しての再帰処理も実装されましたし、JAVAやC++を筆頭にオブジェクト指向的な手続きをそのまま記述出来る開発言語も生まれました。

 それまで固定であったソフトウエア・プログラムを、処理結果によって書き換えるアーキテクチャ、いわゆるディープラーニングが一般化された事で、AIという言葉がにわかに脚光を浴びるようになったのは、ほんのここ最近の事です。しかし、これとて膨大なデータからパターンを抽出しつつ、それらを蓄積して自分の処理方法にフィードバックしているに過ぎず、我々人類が持つ「知能」とは全くの別モノ。その証拠に、AIは、一見、知能的な判断を行なっているように見えて、統計的蓄積によるスコアリング方式での結果判断をしているに過ぎず、その動作原理上、何故そのような判断をしたかという説明は不可能です。つまりはビッグデータの中から特異な傾向を抽出しているだけで、理論立った思考をしているのではないという事なのです。

 全知だけど、全能じゃないんだ。

 上田岳弘著「ニムロッド」(講談社)からのお言葉です。AIは膨大なビッグデータをインプットにして自らの判断をブラッシュアップし続けていますから、データ量によっては、ある意味、全知な存在であると云えなくもありません。しかしロジカルな思考をしている訳ではない以上、決して全能にはなり得ないのです。

 無論、将来、我々の脳内のニューロンの働きを完全にシミュレートするタイプの思考エンジンが開発されれば話は別です。しかしシミュレート以前に、我々の脳内での思考の仕組みがほとんど解明されていない訳ですから、真の意味での人工知能の現出は、まだまだ先であろう事は間違いありますまい。

 某雑誌に、将来AIに取って代わられる職業の一つとして「教師」が挙げられていました。確かに、何らかのソフトウエアが教師の作業を補佐していくようになるのは、間違いないでしょう。例えば生徒から提出された手書きの宿題の丸付け作業を行なうルーチンや、各生徒のノートをセンシングの上、リアルタイムに記述内容をチェックして教師の説明した内容を理解しているかしていないかをスコアリングする仕掛けなどは、近い将来、多くの学校に実装される事は想像に難くありません。しかし、教師という職業が、人間からAIに取って代わられるという事態は、コンピュータのシンギュラリティ以前に脳科学の飛躍的な発展を待たざるを得ない以上、少なくとも十数年というような短いスパンで実現出来得るものではないと断言出来ます。

 自動車の運転程度であれば、完全自動化はそれほど難しくないと思います。巷では自動車の完全自動運転が物凄い事のように騒がれていますけれども、実際のところ、人間が運転免許を取得して運転すること自体は別に大した能力ではなく、むしろ誰でも出来る珍しくもないスキルに過ぎない訳ですからね。

 膨大なパターンデータから特異パターンの抽出するというAIの得意な分野で活躍させるとしたら、集団検診のレントゲン画像からの一次スクリーニングなど、最適かも知れません。

 一部に「AI時代の到来に備えて子供達にプログラミングを教えよう」、などという的外れな施策を押し進めようとしている政治家たちが存在します。オブジェクト指向的設計思想を学ばせるのならばともかく、いまさら前時代的なシングルタスクのフローチャートを学習する事に、何の意味もない事は明白でしょうに。

 AIが、全能はおろか知能ですら無い以上、合法的な奴隷として人類に代わって単純労働をさせるしかないのです。ある「知能」に判断を委ねるとしたら、そこにはあくまでも「信頼」が存在しなければなりません。AIが人間に取って代わる時代など、まだまだずっと先の話。無知な似非(えせ)評論家の論に振り回されないようにしたいものであります。Copyright (C) by Yas / YasZone

【つづく】

「今週のお言葉」の目次に戻る

「やすなべの目次に戻る」

Copyright(C) by Yas/YasZone