出掛けした先で、ちょっとお昼でも食べようかなと考える際、ぐるなびをサーチして近隣のお店の評価を確かめるという方法は、割と皆さん、お使いのやり方でしょう。スマホの普及以来、こうしたランキングの事前確認は、ある意味当然の事となりつつあるようです。
ところが最近、評価点数が高いにも関わらずそれほど美味しくない店に当たる事が、2回連続するという経験を致しました。実際のところ、好みの味というのは人それぞれですから、他人の評価を盲信する事にナンセンスな面がつきまとうのは自明な事なのですが。
店を訪れた全員が必ず評価を投票するというルールであれば、その結果にも一定の信憑性が出て参りましょう。しかし、書き込み自体が任意では、単に声の大きい人の意見(投票行動にまで至る人の意見)のウェイトが上がってしまうのは明らかです。しかも単一の調査員が網羅的に評価をしている訳でもなく、そうした曖昧なプロセスを経て計算された5段階の数字を単純にランキングしても、数学的な意味は薄い事が想像されます。
もう迷わない。この世の流儀はおらがつぐる。
若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新社)からのお言葉です。情報化が進み、こうした口コミサイトが身近になったせいで、自分が一度も行った事のない店の評価や口コミ情報を、簡単に引けるようになってしまいました。それはそれで便利ではあります。しかし、自分の感覚よりも他人か付与したランキングを優先するのはやめて、もっと自分自身の印象を大切にしようと、今回改めて思った次第であります。と云いつつ、口コミって何か気になっちゃうんだけどサ・・・。
【つづく】
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