ートバイの事故率は、あらゆる乗り物の中でダントツに高く、故に「危ないから乗ってはイケマセン」と考える親御さんが世にたくさん存在する事も頷けます。と云いつつ、私自身、自動二輪免許を持っていますし、カワサキのZRX1100というオートバイを所有してもいます。しかも、かみさんも大型二輪免許持ち。現在は手放してしまいましたが、以前は彼女もカワサキのゼファー750に乗っていたくらいですので、Yas家の場合、一般的な家庭と比較すればオートバイに対する許容度はかなり大きいのではないかと思います。
しかし私とて、無条件にオートバイの運転を推奨している訳では決してありません。オートバイ乗りだからこそ、その危険を熟知している訳で、半袖で運転するなどもってのほか。脊椎パットやプロテクタ付きの長袖のライディングスーツに皮ズボンを穿き、ライディングブーツに皮手袋にスネル規格のヘルメット着用は当然の装備でありましょう。こうした事を考えますと、逆にオートバイに乗る上での要求事項は、一般の方に比べて、細かくかつシビアであるとも云えそうです。
何故、突然こんな事を云いだしたかと申しますと、下の息子がこの春から大学生になり、5月に入って自動二輪免許を取りたいと云い出したからなのであります。高校の頃からオートバイに乗っていた私と違い、大学生になって初めて免許を取る事になる下の息子は、オートバイの危険も具体的には理解していませんし、そうした諸々の事を教わる機会も、きっとほとんど無いと思われます。
私はオートバイの運転も、柔道も、サッカーも、皆同じであると考えております。柔道においてもサッカーにおいても、捻挫や骨折等の怪我はつきものです。怪我の可能性が高いから=危ないから、やらないのではなく、怪我の可能性が高いからこそ準備体操や柔軟運動が必須である、と考える方が自然でありましょう。オートバイも同じです。しかし部活やサークルに入って、先輩やコーチからきっちり指導を受けて練習する柔道やサッカーと違って、オートバイは、免許さえ取ってしまえば自己流で技術を磨かねばなりません。
これこそがオートバイを危険なモノたらしめている最大の要因でしょう。そういう意味においては、教習所は形式的な最低限の操作術以外何も教えてはくれません。そもそもたかだか2〜3週間程度の教習で、何が出来るようになると云うのでしょうか。
例えば下の息子が、大学の二輪部に入るとか警察主催の安全運転講習(安全運転とは名ばかりの、現職白バイ隊員が直接指導してくれるジムカーナ的技術講習やサーカス的バランス講習)に頻繁に出席するのであれば、彼のオートバイライフを安心して傍観していられるのですがね。実際のところは、免許を取ってすぐに公道に出て、危ない目に遭いながら腕を磨く事になるのでしょう。嗚呼、なまじ私自身がオートバイの危険を知っているからこそ、素直に彼の背中を押してやれないのかも知れません。
だからといって、頭ごなしに免許取得を諦めさせたり、警察主催の講習への参加を免許取得の条件としたりといった、彼の行動を規制、若しくは強制する行為は絶対に取りたくありません。まだ未成年とは云え彼も独り暮らしを始めた「大人」な訳で、独立心を育むという面からも、内政干渉は避けるべきでありますからね。
水をかけられて消えた焚き火は、長く嫌な匂いを残すものだ。
上橋菜穂子著「鹿の王【上】〜生き残った者〜」(角川書店)からのお言葉です。いくらそれが良かれという思いに基づいた行為であったとしても、強制に対しては、単に反発が生まれるだけでありましょう。かみさんの場合は、ほぼ手取り足取り状態で、様々なオートバイの流儀を教えてあげる事が出来ましたけれども、息子は今、北海道で独り暮らしをしている訳ですし、ある程度の危険は覚悟の上で、遠くから見守るしかなさそうです。
オートバイは不思議な乗り物で、例えば時速40Kmで曲がる事の出来るコーナーでも、時速40Kmからでは止まれない、という構造的なジレンマを内包しています。オートバイは、止まる能力よりも曲がる能力の方が遙かに高い機械なのです。しかも安定したコーナリングの為には、アクセルを開けて後輪にトラクションを掛けてやる必要があります。つまり、オーバースピード気味でコーナーに侵入した際、「ヤバい!」と思ってブレーキを掛ける奴は、止まりきれず結果としてオーバーランしてしまうのです。最悪の場合、ガードレールに突っ込む事になります。「ヤバい!」と思った時こそアクセルを開けて後輪にトラクションを掛けて、加速しながら曲がるしかないのです。
こうした、コーナーでアクセルを開ける行為は安定したコーナリングの為には必須なのですが、無謀な暴走行為と紙一重でもあります。だって、ヤバい場面で更にアクセルを開ける訳ですからね。止まれない速度から更に加速するって、口で云うのは簡単ですけれども、実際には難しい判断と経験に基づく度胸が必要になります。
実は私の父親も、かつて彼が若い時分には、メグロの500ccに乗っていたといいます。私がオートバイに乗り始めた頃、父は私の運転を「危なっかしいなぁ」と思って見ていたに違いありません。それでもオートバイの運転に関して、父は私に只の一言も口出しする事はありませんでした。
それにしても、ヤバい時こそアクセルを開けねばならないとは、オートバイってつくづく人生そのものでありますなぁ。
息子に伝えたい事は山程あります。しかしかつて父が私に対してそうしたように、私も何も云わずに、ただ見守ろうと考えている次第でありました。
【つづく】
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