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  今週のお言葉  

 が日野市に住み始めた当初は、ここが東京都内であるとはちょっと信じ難いくらい、周りには自然が色濃く残っておりました。ここに住み始めて十数年しか経っておりませんけれども、その田舎度は、近年かなり低くなってきた事が実感出来ます。明らかに畑や田んぼや山林が減って、一戸建て住宅やマンションに置き換わっているのです。それだけではありません。古い建物が壊されて、そこに新たな建物が建つ事もしばしば。まるで街全体が生き物のように新陳代謝を繰り返し、割合として徐々に緑のエリアが狭くなっている印象を受けます。

 万願寺基地のすぐ近くに、畑と隣接するように農業用の作業小屋があって、平日のお昼頃になると、畑の所有者のお婆さんが、その日の朝に自分の畑で取れた野菜を、板の上に並べて売っていたものであります。そこは野菜の直売所でありながら、近所のお年寄りのちょっとした寄合所としても機能していておりました。小屋の(ひさし)の下に並べられたイスに座り、麦茶を飲みながら談笑するお年寄りの方達の姿は、いわば近所の風物詩だったのであります。

 その小屋の周辺は、近年、宅地化が急速に進み、瀟洒(しょうしゃ)な建売住宅が並んでいて、お婆さんの畑と小屋だけが、昭和の空気を醸し出しておりました。だからと云ってその一角が異質な雰囲気になってしまっている訳では決してなく、あくまでも新興住宅地の中に残る「ほのぼの空間」といった風情だったのであります。私もここで野菜を購入した事が何度かありますし、おそらくはご近所の方々も、お婆さんの野菜を日常的に購入していたと思います。お婆さんが留守の際は、備え付けの料金箱にお金を入れる方式でありました。

 今から半年ほど前に、突然、お婆さんの畑と小屋が壊され土木工事が行われました。ブルトーザが入った後、すぐに基礎工事を始めたと思ったら、あれよあれよと云う間に、建物が出来上がり、コンビニエンスストアが開業したのであります。最初にブルが入ってから開業までちょうど一ヶ月。驚く程のスピード工事でありました。

 何しろこのコンビニ、私の仕事場である万願寺基地に程近い為、割と頻繁に訪れる機会が御座います。慣れというのは恐ろしいものですなぁ、最近では、ここがかつて畑だった事などすっかり忘れておりましたよ。ところが先日、お婆さんの畑と小屋が話題にあがったのでありました。ふと、かつてのお婆さんの小屋を思い出そうとしたのですが、どんな建物だったのか、大まかにはイメージが湧くのですが、細かい部分がどうしても思い出せないのであります。約10年間もこの小屋を眺めて暮らしていたのです。コンビニに変わってまだ半年しか経っていないというのに、既に記憶が薄れつつあるなんて・・・。

 その斜め向かいにも、更地が発生していた。そこはどんな建物だったか、結局思い出せずじまいだった。

 柴崎友香著「春の庭」(文藝春秋)からのお言葉です。そうなのです。街は生き物のように新陳代謝を繰り返し、古い建物や畑や田んぼは、新しい建物にリプレースメントされていきます。こうして一旦新しいモノに変わってしまうと、あれほど毎日見ていた風景だった筈なのに、かつての状態を思い出せなくなってしまうのです。

 元々、小屋の前を通る際に挨拶を交わし、時々野菜を買い求める程度の付き合いしかなかった私には、お婆さんの行方は(よう)として知れず、あれ以来一度もお見掛けしておりません。ご近所にお住まいなのか、転居されたのかも不明です。あの場所に畑と小屋があってお婆さんが野菜を売っていた事を知る人も、今後減っていく一方でしょう。ちょっと寂しい気も致します。コンビニが出来てしまった今となっては遅きに失しますけれども、お婆さんの畑と小屋を写真に残しておけば良かったと、今更ながらに思ったのでありました。Copyright (C) by Yas / YasZone

【つづく】

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