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  今週のお言葉  

 立行政法人である理化学研究所と、いわゆる一般企業とを丸っきり同じ感覚で評するには無理があるとはしても、予算があり成果を出し納期が決められているという点において、両者にさしたる違いは存在しないのではないかと思います。私は自営業者になる前はIT企業に勤務しておりましたけれども、部長や課長といった人事的な責任体系とは別にプロジェクトリーダを中心とするビジネスユニットが存在する辺り、IT企業と理研はちょっと似ているのかも知れません。

 ユニットリーダに若い人を抜擢するというのは、私が勤めていた会社でも比較的よく行われておりました。リーダを経験させる事で、総合的なマネジメント力や開発力をつけさせる為です。勿論、経験の浅い若い人に仕事を丸投げする事なんてありません。人員の管理、工程の管理、予算の管理、クライアントへのプレゼンテーションや関係先へのネゴシエーションを統括的にはじめから上手くこなせる人なんて居る筈ありませんもんね。こういうサポートの為に、あらゆる組織には、部長や課長といった人事的な責任体系が存在するのであります。

 こうした周りからの様々なサポートを受けている以上、ユニットリーダが王様にはなり得ないのは自明でありましょう。当然、ユニットリーダは上司に進捗状況や問題点を定期的に報告し方向性を提案すると共に、指示を仰ぎます。現場を仕切るユニットリーダの考えは最大限に尊重され優先されるべきですが、組織としての最終的な責任を負う上司=管理職からのGOサイン無くして、ビジネスユニットは動けません。

 有能な管理職ほど、ユニットリーダの考えの通りに自由に活動させつつ、ビジネスユニットに問題が発生していないかを詳細に緻密に監理しようとします。そしてその問題点の解決プロセス自体においても、ユニットリーダと相談の上進めていくのです。一種のリーダ教育であります。この様な膨大な手間を掛けてこそ、若くて能力の高い人材が育つのであります。

 万が一、ビジネスユニットにトラブルが発生した場合、クライアントに頭を下げに行くのはユニットリーダではなく、管理職である上司です。勿論、現場の詳細な状況を報告させる為にもユニットリーダを同席させますけれども、あくまでもレスポンシビリティを負うのは管理職である上司ですからね。そもそも若造が謝りに行って納得してくれるクライアントなんてどこにも居りますまい。

 部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任。

 TBSドラマ「半沢直樹」からのお言葉です。理研は、ユニットリーダである小保方(おぼかた)晴子博士を悪者にしようとしているように見えます。彼女はとびきり優秀な学徒なのでしょうが、まだ30歳になったばかりの若手に過ぎません。本当に責任を負い謝罪すべきは彼女の上司であります。仕事の進め方も報告の仕方も、その上司が監修し教育していくべきなのです。そもそも30歳の研究者なんて、まだ学校出たての若い衆に過ぎないではありませんか。

 仕事の段取りを教えつつ、ある程度の範囲を任せて、ただし報告や相談を受けて内容を監修する代わりに、トラブル時の全責任を負う。「俺がケツを持ってやる。思い切りやってみろ」というのが本来の上司の姿であります。難しい仕事ほど、若い衆に任せないで自分がやった方が楽で確実に決まってます。そこを敢えて若い人にやらせるには、自分に相当な器量と能力が必要ですし、だからこそ高給を頂くのであります。組織としては、こうした多大な労力を払っても後進を育てる必要があります。こんな当たり前の事すら分からない管理職が居る事自体、理化学研究所全体の信用に関わる問題だと思います。マスコミは小保方晴子博士ばかりを叩いていますが、それは違う。叩かれるべきは小保方晴子博士の直属の上司であり、逃げる上司を許している理研の体質そのものであります。

 若い衆は、失敗の原因を精査しそれを反省する事で解決力を獲得していきます。一回でも失敗したらトカゲの尻尾のように切り捨てられるのならば、理研は組織としての(てい)をなしていないと云わざるを得ません。若い衆が安心して先端研究に携わっていける為にも、理研の体質改善が急務であると思うのです。そもそも彼らには、自分の子飼(こがい)の部下を守ろうという意識が無いのでしょうか。

 理研は「小保方氏個人による捏造が存在したので、研究を白紙に戻す」旨の発表をしています。ちょっと待て。それでは折角任せて育てようとした若い衆を駄目にしてしまう。「STAP細胞は存在する。ただ小保方の論文の形式に瑕疵(かし)があっただけだ。彼女はまだ若くて未熟だ。論文の書き方等はきちんと指導していく。でも彼女の開発したSTAP細胞は本物なのだ」と何故しっかりと発言してあげないのでしょうか。

 私はIT業界に長く居ましたので、先入観を捨て客観的な事実だけを積み上げてシステムのトラブルの原因を突き止めるという作業をたくさん行なって参りました。こうしたプロセスは理系であれば当然のモノであります。良いですか?先入観を捨てて話を整理してみましょう。山梨大学の若山照彦教授が小保方晴子博士から貰ったSTAP細胞をマウスの胚盤胞に移植して様々な組織の細胞を形成する実験を行った際、今までのES細胞やiPS細胞では作る事の出来なかった胎盤までをも再生出来た事実を忘れてはなりません。論文の通りの方法でSTAP細胞が作れないと大騒ぎする前に、ES細胞でもなくiPS細胞でもない、胎盤をも作成可能な細胞、すなわちSTAP細胞が確かに存在した事は間違いないのです。勿論、若山照彦教授が悪意をもって結果を捏造したのでなければネ。

 一部のミスや瑕疵を論拠として実験の全てを否定するのは、余りにヒステリックで反理系的なやり方でありましょう。理系の殿堂とも呼べる理化学研究所がこうした論理性に乏しい行動原理に従っているとすれば、本当に情けない限り。それ以前に、自分の部下すら守れないで上司(づら)するんじゃねぇよと云いたい。そして捏造か否かの検証は、小保方晴子博士の側よりも、若山照彦教授の実験プロセスを追うべきである事も忘れないで頂きたいのでありました。Copyright (C) by Yas / YasZone

【つづく】

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