マホ依存症が中高生に蔓延していると新聞に書いてありました。下手すりゃ良い歳した大人にも、依存気味の人が増えつつあるのではないでしょうか。電車に乗って車内を見回しても、本を読んでいる人は少数派。ほとんどの方が寝ているかスマホいじっているかのどちらかですもんね。
本来、スマートフォンは形は小さくとも、PC的な要素を持った強力なビジネスツールたり得るマシンだった筈。情報検索したり、電子辞書として使ったり、文書を閲覧したり、メールをやりとりしたり、地図を使って目的地までナビゲートさせたり、といった当たり前の使い方であれば、いかにヘビーに使い倒そうと依存症と称される事はないでしょう。一般的に云われるスマホ依存とは、いわゆるSNS依存に他なりません。
SNS:ソーシャル・ネットワーク・サービスは、元々はクローズド・ユーザ間でのやりとりを目的としたモノでした。昔はメーリングリストという機能を使ってクローズド・ユーザ同士で情報を共有したものであります。こうしたグループは、当時、フォーラムとかCUGとか会議室とか呼ばれておりましたなぁ。メーリングリストの代表メアドにメールを出すと、メーリングリスト加入者全員にそのメールがフォアードされる仕組み。イタズラや宣伝を防止する為に、加入者以外からの送信は全てブロックされます。会員制の電子掲示板をメールでやってるイメージですな。
情報を共有する事を目的とした場合、実はこの方法で必要にして十分でありました。今流行りのLINEの様に既読・未読の判断がつかないのは仕方ないとして、そもそもがメールですから情報はタイムラグ無く瞬時に送られてきます。それらを溜めておいて後で時間が出来たら一気読みする事も可能。メーラの検索機能を使えば、飛び交う情報の中から自分に必要なモノをすぐに探し出せます。過去に話し合われた内容も、後からゆっくり参照出来るのです。
このメーリングリストという仕組みは、ビジネスや研究の為の電子会議室としては非常に有効です。ところが遊び目的で仲間内で使うには決定的に不便な面が存在致します。メーリングリストを管理する幹事役が必要な点です。あるメーリングリストへの加入を希望する場合、その管理者に連絡をし、自分のメールアドレスを登録して貰う必要があります。会議室に相応しくない人が紛れ込みにくい点は便利としても、友達の友達と友達になるといった有機的な連携を重要視するユーザにとって、管理者制度はこうした機能の実現に対する足枷にしかなりません。
多くのSNSでは、クローズド・ユーザ・グループとして機能しつつ、特定のグループ管理者を必要としない、お友達申請とその承認というアーキテクチャを導入し、自分を中心としたお友達ネットワークの管理を各個人に移譲する事に成功しました。面倒なメンバ管理という作業を個々のユーザの負担として分散させる事で、友達の友達と友達になるといった事も気軽に出来るようになった反面、折角出した友達申請を承認して貰えないとか、既読なのに返信しないいわゆる「既読無視」として誹りを受けたりとか、自分の書き込みが結果として(リツイート等も含めて)どれ位の範囲に拡散するのかが把握しきれないといった、新たな問題も発生してきました。そもそもネット依存と診断される中高生のかなりの割合が、SNSでのやり取りが楽しくてハマっているのではなく、すばやくレスポンスしないで仲間外れにされたり悪口を書かれたりする事を恐れて、いわば強迫観念に従って見続けざるを得なくなっているというではありませんか。なんか小学生っぽい幼稚な話ですねぇ。
私が小学校の頃、「○○君は今朝ウンコ踏んだんだぜ〜」なんて暴露話が書かれた小さな紙が授業中に回ってきたものであります。こうした回覧も、はなはだアナログ的ながら、一応はクローズド・ユーザ・グループ内の情報共有メソッドに他なりません。アナログかデジタルかという方法論の違いこそあれ、SNSの機能もメモの回覧と本質的に変わりはないのであります。
小学校の頃のメモの回覧には、少なくとも一定のモラルが存在していました。クラス内で回覧する事はあっても、学校全体にその事実を公けにしたりといった行為は、卑劣かつ悪辣な事であると、子供ながらに認識していたものです。あまりにも広範な情報漏洩や暴露は、いじめや嫌がらせの域を越えて犯罪となる可能性すらある事は、誰に教わった訳でもありませんが理解した上で行動していたように思うのです。
こうした「授業中のメモの回覧」と同じノリでSNSに個人の悪口を書き込みするというのは、ITリテラシーに欠ける行為と云わざるを得ません。リツイートを含めた情報の伝播可能範囲は、一般的な想像を遙かに越えています。SNSで人の悪口を書けば、結果として本人も含めた広範な人々の知るところになるのは当然ではありませんか。
陰口なら陰で云え。
似鳥鶏著「午後からはワニ日和」(文藝春秋)からのお言葉です。本人とってはほんの軽い陰口を云った位の心算でも、ネット上での批判は実際は街宣車を回して滔々と弁じ立てるのと同義。威力業務妨害とか名誉毀損とか、何らかの罪状がつく程の不法行為なのです。ITリテラシーに欠けていたのでそれ程大きな影響が及ぶとは思わなかった、という言い訳も許されはしないでしょう。意図的でなくても相手に強烈な影響を与えてしまう事には変わり無し。業務上過失に問われる事は避けられそうもありません。
自動車は便利なツールですが、きちんとした練習をしないと他人に大きな危害が及ぶ故に、免許制度が存在するのでしょう。スマホについて、免許制度の導入は行き過ぎとしても、既に依存症や、無知によって特定の人を追い込んでしまう事案が社会問題化されているのですから、何らかの教育や練習は必要と云えそうです。
中学校も技術家庭科の時間にエクセルの使い方なんて教える暇があったら、こうした最低限のITリテラシーとコンプライアンスについて叩き込む方が先だと思うのですが・・・。そう云えば、今度、道徳の授業が復活するのでしたね。概念的な道徳教育と並行して、例えばLINEを使った実践的な道徳カリキュラムも、是非とも取り入れて貰いたいものであります。
【つづく】
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