と渓谷社の季刊誌「自転車人」に連載の「北の寂旅エレジー」という紀行エッセイをご存じでしょうか。筆者である長谷川哲氏が、輪行を駆使しつつもテント泊で北の大地をツーリングするお話であります。寂旅とは氏の造語でありましょう。淡々とした語り口調と云い、表現の侘び寂び加減と云い、是非ともアラフィフのローディー諸兄にお読み頂きたい作品群であります。逆にお若い方には、氏の旅のノリを完全に理解する事は難しいんじゃないかなぁ。ま、チミたちもオサ〜ンになれば納得出来るようになると思うよ、うん。
この度、これら全16話をまとめて、単行本化されたとの情報を得、早速購入致しました。タイトルは「北海道16の自転車の旅」。ほとんどのお話を自転車人誌上で読んだ事があったとは云え、まとめて一気読みすると、これが滅法面白い。自転車人は季刊誌なので出版のインターバルが長く、中々前話と繋がらないのに対し、単行本での一気読みでは全体的な思考の流れが掴めると申しますか、氏の旅に対する考え方の底流がバッチリ感じられるのでありますよ。
氏は昭和39年生まれ。私の1年先輩に当たります。もろに同世代ですので、考え方などには大いに共感出来る部分だらけであります。故に読んでいて大変に面白い反面、自分にはこういう旅は無理だろうなぁと強く感じるのも事実。それにしても、こうした寂旅を実行出来る氏の行動力は、どこから湧いてくるのでありましょうか。
氏と比較しますと、私の自転車に対する姿勢は、薄っぺらいの一言に尽きます。確かに一日に150Km以上の移動もしますし、峠だって普通に越えていきます。しかし結局のところ、単なるエクササイズの延長に過ぎない事は、私自身が一番よく分かっているのです。雨をおして出掛ける事などありませんし、人っ子一人居ない場所にテント泊する事もありません。そもそも私の場合、体を動かす事を主たる目的としていて、結果としてサイクリングしているだけ。氏のように「旅」と云えるような行動や意識には全く至っていないのであります。
「旅」を「日常」の対義語と考えれば、私は日常を捨てきれない小市民そのもの。故に、氏のように日常を捨てて旅に飛び出していくバイタリティに対し、大いなる憧れと羨望を抱くのは、いわば必然でありましょう。
自転車で旅することが目的なのか。旅の一手段として自転車に乗るのか。
長谷川哲著「北海道16の自転車の旅」(北海道新聞社)からのお言葉です。きゃ〜格好良い!!私も一度でいいから、こんな渋い台詞を吐いてみたいものであります。
私にとってみれば大層興味深い本でありますが、対象となる読者を考えると、ターゲットは相当狭い事が推察されます。愛好者の多いロードバイクではなくランドナー系(実際には氏はシクロクロス車を使っています)のお話である点。行き先が熊が出没する恐れのあるようなマニアックな地域ばかりで、ルート上に目玉となるような観光対象がある訳でもない点。書籍としても、一応はルートマップの掲載があるもののツーリングガイドという体ではない点など、考えれば考える程、ニッチな読者像しか浮かんで参りません。商業的な採算性を考えれば、山と渓谷社が単行本化に二の足を踏んで、結果、北海道新聞社からの出版になったのではないかとの私の邪推も、強ち的外れでは無いような気もする位であります。
嗚呼、実際には旅に出る勇気など湧いてこない私でありますが、だからこそ氏のような、旅に生きる男への憧れが強いのでありました。いやぁそれにしても格好良い!
【つづく】
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