イクリングの目的地として、都心に向かう事は私の場合ほとんどありません。いろんなブログを覗かせて頂きますと、都心は和菓子やスイーツの宝庫なんですな。こうした美味しいものを求めて、都心へのサイクリングを好む方は相当数いらっしゃるようなのであります。
私の場合は、まず都心の道路を自転車で走る事が怖くて、どうしても敬遠してしまいます。スイーツは大いに魅力なのですがね。続いてダメなのが排気ガス。幹線道路を長く走るだけで、声が涸れてしまうのです。一人で自転車で走る際は喋ったり歌ったりする訳ではないんですよ。それなのに声が出なくなってしまう。これは排気ガスによる影響に相違ないでしょう。
結局のところ、私の好む行き先は山間部という事になります。別にヒルクライムの練習をしようという目的ではありませんから、登り坂の存在が絶対条件なのではありません。身体的負荷云々ではなく、私は山の清冽な空気感が好きなのであります。
おいおい、「山」なんて大層な単語を使うなよ。お前さんの乗っている自転車はロードバイクじゃねぇか。そもそも悪路が苦手でアスファルトの道しか走れねぇってぇ代物だ。舗装道路を走りながらそこを「山」と呼ぶなんざ、おこがましいにも程があるぜ。はい。その通りであります。「山」は言い過ぎで御座いました。私が好きなのは里山なのです。自然と人間が共生している風景が好きなのでありますよ。
NHK−BSプレミアム(旧BSハイビジョン)の名峰グレートサミッツやワイルドライフといったネイチャー系の番組を観るのは大好きであります。でもその場所に行ってみようとまでは思わないのです。私にとって本当の自然は荒々し過ぎます。興味の対象とはなり得ても、大好きで通い詰める場所とまでにはなり得ないのであります。
自然というのは、ありのままという意味だ。だが、ありのままが美しいわけではない。
森博嗣著「失われた猫」(光文社)の中のお言葉です。西浅川の三叉路を小仏方面に入り、そこから進んで蛇滝入り口を過ぎた辺りからは、何となく懐かしいような優しい里山の風景を楽しむ事が出来ます。春になるとゴザを広げた上に梅の実を干してあり、ちょっと酸っぱくそれでいて甘い、独特の梅の香りが道路まで漂ってきます。そんな中をトコトコと自転車で登っていくのは、私にとって至福の時。勿論ここにも現実の生活がある事は分かっています。でも何か昔にタイムスリップしたと云うか、自分が子供に戻ったかのような不思議な浮遊感を感じるのです。
優しく包み込んでくれるかのような安心感を味わわせてくれる、美しい里山の風景。きっとこの不思議で心地良い感覚を味わう為に、暖かくなったら、小仏や恩方や檜原などに自転車でお出掛けする事になるんだろうなぁと思うのでありました。ちょっと春が待ち遠しくなって参りましたよ。
【つづく】
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