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時坂峠の素敵なひとりぼっちの道 |
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とりぼっちと孤独は、一般的には同一視されがちでありますが、私は、両者は根本的に違うものであると考えています。「孤独」は何としても避けたい、忌むべき状態の一つでありましょう。対して「ひとりぼっち」は、ある意味、私にとって快楽の一種ですらあるのです。
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蕎麦処みち子 |
人が最も強く孤独を感じるのは実は周りに誰も居ない状態の時ではなく、逆に多くの人に囲まれている時なのだそうであります。衆人環境の中で自分だけが異端であると思い込んでしまった時の疎外感こそが、最も強烈な孤独感を誘発すると、ものの本には書いてあります。そう云われれば、鬱病の方は強い孤独感を感じ、その癖、布団から出る事さえ困難になると聞きます。対人恐怖とは他人とのコミュニケーションを避けたい欲求では無く、疎外感を感じる可能性の高い、衆人環境を嫌悪する志向なのかも知れません。
現代において、たった一人で山の中に居るという状態は、ある種贅沢であるとも申せましょう。一人暮らしの方が部屋に一人で居るのとは根本的に異なる状況です。部屋にはテレビがあるでしょうし、画面の向こうには多くの人の存在を感じるでしょう。テレビを視聴すると云う行為は、衆人環境に身を置く事と同義なのであります。疎外感を感じている方は、テレビを見ると、余計にその疎外感が強くなるというのも頷ける話です。
私は「贅沢なひとりぼっち」を楽しむのが好きで、自転車で峠に向かう事が多々あります。昨今のハイキング・ウォーキングブームで、完全に無人の峠というのは皆無でありますが、それにしても人の少ない環境って、日頃のしがらみや仕事の事などを忘れて、心からノビノビした気分に浸れるのでありますよ。
ここに書いて、多くの方が殺到したらそれはそれで嫌なのですが、最近のマイブームは、檜原村の時坂峠へのサイクリングであります。武蔵五日市から檜原村方面に、都道33号線檜原街道を進み、村役場のT字路を右折。有名な豆腐のちとせ屋の左側の道をズンズン登っていくと、道はみるみる急になります。しばらく林の中の鬱蒼とした道を進むと、突然、大きな茅葺きの屋根が目に飛び込んできます。こんな山の中に集落が存在する事がちょっとした驚きであります。道はこの集落を縫うように高度を稼いでいきます。自転車を漕ぎながら息が上がります。集落を過ぎ、尾根筋を抜けて山の反対側に出ると、パァっと一気にに視界が広がります。崖に沿って、ガードレールすら無い道がトラバースしていきます。道の片方は怖い位の高さの谷。山のまっただ中。周りには誰も居ません。集落も見えません。鳥の声だけが聞こえてきます。まさに、素敵なひとりぼっちであります。
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石臼挽き蕎麦と、
塩で頂く山菜の天麩羅は、
まさに絶品です。 |
だれも知らない道を通って
だれも知らない野原にくれば
太陽だけがおれの友だち
そうだ俺には俺しかいない
俺はすてきなひとりぼっち
谷川俊太郎の詩「ひとりぼっち」の中のお言葉です。こういう場所へオートバイや車で出掛けても、ひとりぼっちを楽しむ暇なく、あっという間に通り過ぎてしまうでしょう。かといって徒歩では、そこまで辿り着くのに一苦労。その点、自転車というのは絶妙の距離感と速度感を持っておりまして、ひとりぼっちを楽しむ為の最適なツールであると断言出来ます。
さてここで皆様に情報を一つ。檜原村の時坂峠は、峠の茶屋までで舗装が途切れています。道路の終点なのです。多くの車やオートバイや自転車はここで一休みして、元来た道を下っていきます。ちょっとお待ち下さい。確かにこの峠の茶屋からの眺めは格別でありますから、それだけでも十分、峠を堪能出来ます。でもこの先に、更なるお楽しみが存在するのでありますよ。
峠の茶屋の奥には登山道が続いています。マウンテンバイクならば何とか走行可能なシングルトラック。ここを5分ほど歩いていくと、突然、立派な門構えの木造の家が見えてきます。門の奥には水車が回っているのが見えます。これが知る人ぞ知る、蕎麦処みち子であります。土日だけ営業している隠れ家的蕎麦屋。水車の石臼で挽かれた蕎麦と、近隣の山で採れた山菜の天麩羅は絶品でありますぞ。
時坂峠をトコトコと登り、素敵なひとりぼっちを堪能した後、隠れ家で美味しいお蕎麦に舌鼓を打つ。汗をかいた後の蕎麦つゆのしょっぱさと、天つゆでなくお塩で頂く天麩羅の美味しさといったら!!こういうのを本当の贅沢と呼ぶのかも知れませんなぁ。お勧めですよ!
【つづく】
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