ょっと前のお話であります。その日私は都道158号線、通称、尾根幹線を東に向かって自転車で走っておりました。宮ヶ瀬にサイクリングに行った帰り道、尾根幹線から、グリーンウォーク多摩という郊外型のショッピングセンターの交差点を左折して、日野に帰ろうとしていたのであります。
尾根幹線は、町田と矢野口・多摩川原橋を繋ぐ道で、東京多摩地区のサイクリストの間では、ロードの練習コースとして有名なルートです。適度なアップダウンがあり、きっちり追い込み練習をする事が出来ます。ともかく全線に渡り路側帯が広く、とても走りやすいのであります。休日ともなりますと、カラフルなサイクルジャージを身にまとった多くのサイクリスト達がロードバイクに乗って走っている姿を見る事が出来ます。練習コースとしても秀逸ですし、更に津久井やヤビツや道志街道と、多摩川サイクリングロードとをつなぐバイパスとしての役割も高く、とにかくロードバイクがたくさん走っている道なのでありますよ。
グリーンウォーク多摩を左に見ながら尾根幹線を下っていきます。谷底に当たる部分は交差点になっていて、この交差点からは尾根幹線は登りに転じます。ほとんどのサイクリストはここを直進して読売ランド方面に向かいます。でも私は万願寺基地に帰る為に、ここを左折して東京薬科大の方に向かうのであります。
私の前には20人程度のお揃いのジャージを着た集団が走っておりました。ゆっくりペースではありませんが、決して速いペースではないこの集団。見た感じ、ゆる系のチームの走行会という感じでありました。ロードバイクにおける20人程度の集団というのは、実際、かなりの大集団であります。これだけの集団になりますと信号で寸断されたり、後続の車の邪魔になってしまったりする可能性がありますから、普通は5人程度ずつの少人数グループに分かれて行動するのがセオリーなのですが、彼らは20人のまま、まとまって行動しておりました。私としても我慢できない程ではないにしろ、抜かして前に出たい位の、微妙なペースではありました。しかし20人もの大集団を一気に抜かすスキルも勇気もありません。仕方がなく彼らの後ろについて走行していたという訳であります。
あぁ、やっぱり〜。心配していた通りの事が起こりました。集団が交差点を通過中に、前方の信号が黄色から赤に変わろうとしています。皆、集団から遅れたくない事、すり鉢状の交差点を惰性で登りたい事から、集団の後半はガンガン信号無視をしていきます。危ねぇなぁ。後ろから見ておりますと、交差側の信号が青に変わり、車が流れ始めました。激しいクラクション。そりゃそうでしょう。完全に信号無視している訳ですからね。こりゃロードバイクが一方的に悪い。結局、集団の最後の一人だけが交差点を渡る事をあきらめ停止線で停まり、残りの集団は、無理矢理交差点を渡り、坂を登っていってしまいました。
この時私は集団最後尾から5m程離れて走っておりました。一人残された集団最後尾の人にピタリと付く形で、信号が青に変わるのを待ちます。信号が変われば彼は直進して集団を追い、私は左折して万願寺基地に帰る訳です。それにしてもこの人、落ち着きがありません。ペダルに靴を固定する、SPD-SLのクリートをパッチンコン、パッチンコン、パッチンコンと、貧乏揺すりよろしく、ハメたり外したりしています。集団に追いつかねばと考えて、焦っていたのかも知れませんね。
信号が青に変わりました。と、その時です。前のパッチンコンちゃんの挙動がおかしい。スタート時にバランスを崩してちょっと足をつこうとしたようなのですが、悪いタイミングでパッチンコンとクリートがはまってしまったようなのです。時間にして約1秒弱。ゆっくりと右に傾いたかと思うと、そのまま立ちゴケしてしまいました。
信号が青に変わって車が流れ始めるタイミングでの右側への立ちゴケです。後続車に轢かれてしまう可能性すらあります。私はとっさに後続車に大きく手を振って、右側に大きく迂回するよう誘導を始めました。肝心のパッチンコンちゃんは、焦ってしまってクリートが中々外せません。寝転がってバタバタしています。やっとクリートを外して彼が立ち上がった時には、信号はすでに赤に変わっておりました。
パッチンコンちゃんは相当恥ずかしかったのでありましょう。私に対して、一切話し掛けてきません。ま、恥ずかしい場面の一部始終を私に目撃されましたからね。お礼を言うより何より、まずはその場を退散したい一心だったのでありましょう。分かります分かります、その気持ち。
おや。信号が青に変わって、パッチンコンちゃんはいきなり交差点を直進せずに、さっと左折しました。お仲間の集団は直進していったのであります。パッチンコンちゃんは集団を追いかけねばなりませんから、ここを直進する筈なのです。おそらくパッチンコンちゃんは、私がこの交差点を直進すると思ったのでしょう。事件の目撃者たる私から離れたい一心で、敢えて左折したのだと思われます。ところがどっこい、私は初めからここを左折する予定でありました。多摩丘陵は、まだまだ自然のままの山が残っていて、道が碁盤の目になっていないのであります。左折ポイントを間違えると、山を回避する形で大きく遠回りをせざるを得なくなってしまうのです。パッチンコンちゃんの事を考えてあげるのならば、知らんぷりしてここを直進するのが大人の振るまいかも知れません。しかし私としましても、宮ヶ瀬からの帰りで些か疲れておりましたし、これ以上の遠回りは、ちょっと面倒であった訳であります。
パッチンコンちゃんには悪いと思いましたが、彼に続き私も交差点を左折しました。彼は、私が当然直進するだろうと思っていたのでしょう。私が左折するのを見て、パニック状態になったのが分かりました。いきなり立ち漕ぎしたかと思うと、全力で京王堀之内駅の方に向かって坂を下っていきます。下りとは云え推定45Km/h。駐車車両が多い市街地で45Km/hとは、尋常な速度ではありません。きっと私から逃れようと必死だったのでありましょう。
時として神様は意地悪であります。別所のファミマの交差点で引っかかっていたパッチンコンちゃんに追いついてしまいました。私に悪気があった訳ではないのです。たまたま帰り道がこちらなのです。特に追いかけるつもりもないのに、信号のタイミングで追いついてしまっただけなのであります。本来は尾根幹線を直進する筈だったパッチンコンちゃんの行動の方が奇異なのであります。
追いついた途端、パッチンコンちゃんは自転車を歩道に上げ、こちらを振り向くなり「もう、勘弁して下さいよぅ」と宣いました。きっと彼は私がパッチンコンちゃんを心配して後をつけてきたのだと勘違いしたのでしょう。あるいは、「助けてやったのに挨拶も無しに行きやがって」と私に云われると思ったのかも知れません。こりゃ誤解は永遠に解けねぇだろうなと思いましたが、説明するのも面倒なので「私、家、こちらなんで、失礼しま〜す」と軽く声を掛け、歩道に佇むパッチンコンちゃんを置き去りにして、万願寺基地を目指したのでありました。
そう深刻に考え込まないで。いい意味でも悪い意味でも、まわりは、そんなに深く、君のこと気にしてないって。
宮部みゆき著「スナーク狩り」(光文社文庫)からのお言葉です。そうなんですよね。自分が思う程、周りは自分など見ていないものなんですよね。それにしても、あれよあれよというタイミングで、結果としてパッチンコンちゃんを追い込んでしまいました〜。ゴメンねぇ。全く悪気はなかったんだよ〜。
【つづく】
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