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  今週のお言葉  

 

 ある峠に自転車でチャレンジする場合、初めての時よりも二度目以降の方が楽に感じる事ってありませんか。極端な話、初めての時は堪らず足を着いてしまった峠でも、二回目のチャレンジの機会には何故か足付き無しで登れた、なんて事すら私の場合はあります。勿論、TT(タイムトライアル)をしたりといった特殊な事は無しという前提においてのお話ですよ。

 初回の時よりも体力的に強くなったのかも、とも考えてしまいますが、実は体調やスキルといった物理的な原因よりも、精神的な側面の方が大きいのではないかと思うのです。

 私がかつて高校の柔道部に属していた時、鍛錬の一環として、よく先輩からグランドをランニングするように命ぜられました。不思議なもので、「グランド10周!」と言われても「グランド30周!」と言われてもそれなりに走れてしまうものであります。残りの周回数を考え、無意識のうちに力を調節してしまうのでありましょう。10周と30周では、単純に労力は3倍なのにも関わらず、意外にも同じように走れてしまうものなのです。ところが「俺が良いと言うまでグランドを走れ!」と命ぜられた途端に、10周も走らない内にバタバタと倒れていくという不思議な現象が起こります。30周と命ぜられて走り切れてしまう能力があるのにも関わらず10周ももたないのであります。終わりの目算が立たない状況では、簡単に心が折れてしまうのでありました。つくづく、人間は精神の動物であります。

 初めてよりも2回目以降の峠の方が楽に登れる感じがするのは、まさしく、この様なロジックによるものであると思うのです。という事は、サイクルイベントやレースへの参加に当たっての事前試走は非常に大きな意味を持つ事になります。自転車での実走がベストでありましょうが、例えばオートバイでそのルートを走っておくだけでも一定の効果は期待出来ましょう。またレース当日に、GPSで地図を表示しながら走行し、常にチェックポイントまでの位置関係を明確にし続ける事も、精神的には非常に楽になりそうです。

 さて、ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、今回はこうした事前の情報が無いという前提でのお話をさせて頂きましょう。初めての峠に出掛けてかなり苦しくなってきた状況を想像してみて下さい。もう少しだけ頑張ってみようかな。それとも休んじゃおうかな。誰も見ていないしね。悪魔が囁く瞬間です。あのカーブを曲がれば頂上かも知れない。いやいや、まだまだ登りは続きそうな気がする。出来る事なら足付き無しの登頂を実現したい。しかしかなり疲れたしそろそろ限界が近い。そんな時、前方から下ってきたロードバイクに声を掛けられる事が結構あります。

 「頑張って〜。もうすぐ頂上ですよ〜!!」

 私自身、何度、このような暖かいお言葉を掛けて頂いた事でしょう。有り難い事で御座います。ところがこの暖かいお言葉にこそ、危険な罠が潜んでいるのでありますよ。

 自転車は人間が動力で、登りは文字通り喘ぎながら登っていく事になります。私なんかの場合、下手すりゃ時速1桁Km台。のろのろヨタヨタ。それに対して下りはあっという間です。路面のコンディションさえ良ければ時速60Km台に達する事もあります。登りと下りではスピードもテンションも距離感も大きく異なるのであります。

 「もうすぐ」。ヨタヨタと這うように登坂している者にとりまして、まさしく希望の言葉であります。しかしちょっと待って下さい。「もうすぐ」という解釈は非常に主観的な基盤の上にのみ成り立ち得る副詞である事を忘れてはなりません。「下っている者にとってはもうすぐ」なだけなのです。この言葉につられて限界まで追い込まれ、それでも頂上が見えてこない時、なまじ一度半端な希望を抱いてしまった故に、その失望は倍化される事になります。

 まやかしの希望は、絶望よりも邪悪である

 宮部みゆき著「模倣犯」の中のお言葉です。声を掛けて下さった方に悪気などありますまい。いやそれどころか、この「もうすぐですよ」という発言は、善意に基づいた励ましの言葉であった筈なのです。しかし結果としてこれほど罪な発言もありません。悪意によらぬ"結果としての嘘"は、悪意による行動よりも、時として罪深い結果に帰結する事にもなり得るのです。

 まやかしの希望は、絶望よりも邪悪である

 峠の頂上で、私は自転車の距離計をリセットします。頂上からの距離を画面に表示させる事で、下りですれ違う自転車に対して「あと750mですよ!頑張って!」と客観的な事実を伝える為であります。主観による発言は相手にまやかしの希望を与えてしまうかも知れませんからね。いやぁ、励ますのも励まされるのも、難しいもんでありますなぁ。Copyright (C) by Yas / YasZone

【つづく】

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