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  お遍路へ行こう!(第8話:自らを振り返る篇) 

土佐高知を制覇し終わったところで、2日間、お遍路をお休みする事にしました。だってさ、ここ、四万十川や四国カルストに凄く近いんだよ。お遍路のルートからは外れちゃうけど、ここを見ないで「四国行ってきました」っていうのもねぇ(笑)。ま、洗濯モンも溜まってきたしさ、ちょうどキリも良いしね。それに観光だけじゃなく、今までの行動をゆっくり振り返ってみる時間も必要だと思ったんだ。


 とりあえず、2日間の行動報告から。俺って我ながらマメだねぇ(笑)。会社辞めても日報提出してやんの(爆)。

 2001-11-08(木)

  • 39番延光寺で、土佐高知を完結。やったー!当初は、続けて伊予愛媛を攻めようかと思ってたけど、今日と明日はお遍路をお休みして、四万十川を見物に行きます。
39番延光寺にお参りして、
めでたく土佐高知を完結
  • まずは国道56号線を東走し、高知県中村市に。ご存知中村市は、高知県内では貴重なPHS通信可能エリア(笑)。国道沿いのマクドナルドに陣取って、「お遍路へ行こう!(第7話:修行の道場(土佐高知)篇)」を書き上げてサーバにアップ。さてコレで一区切り。いよいよ四万十川見物に出発〜!
      
  • 中村市からは四万十川沿いの狭路、県道340号線を行く。そりゃアンタ、有名な「佐田の沈下橋」を見に行くのよ。大水が出た時に橋が流されないように、欄干も手すりも、な〜んにもついてない橋の事を「沈下橋」って云うんだって。実際に通ってみると、風情はあるんだけど、なんか不安でした。幅は十分あるんだけどね。ま、母ちゃんライダーの一本橋と同じようなもんか(爆)。
佐田の沈下橋にて。
この場合、右に立ちゴケしたら、
確実に川に落ちます。
  • 県道340号の終点は、国道441号に繋がっています。そのまま国道441号をひたすら北上。俺、今日は四万十川沿いを走るんだもんね。佐田の沈下橋以外にも、四万十川にはたくさんの沈下橋があります。いちいち絵になってるんだヨなぁ、コレが。
国道441号から沈下橋を眺める。
  • 高知県西土佐村で、国道441号とはお別れ。国道381号を使って、ひたすら四万十川を遡ります。
      
  • 高知県十和村に入ると、四万十川も中流部。ゆったり流れる淵あり、白波をたてる瀬あり。時間は午後2時過ぎと、かなり早めだけど、キャンプ出来るところを物色。今日は、ず〜っと、四万十川見ながらボーっとする予定なんだもん。
      
  • 今日の野営地は、高知県十和村立の十和キャンプ場に決定。芝生のきれいなサイト。400円也。すかさず川縁にテントを設営。午後3時頃から夜まで、刻々と色を変える四万十川を堪能しました。むむ〜。俺ってダンディじゃん(笑)。
      
高知県十和村の十和キャンプ場にて。
こんな季節なんで、テント張ってるの俺だけ。
でも芝生だし、きれいだし、安いんで、超オススメ。
  • 夜の10時頃までテントに入らずにランタンの灯のもと、外で一人で呑む。今夜はイキに、赤ワイン。四万十川って、ずっと見てても飽きないんだよねぇ。それにしても、俺ってダンディ(爆)?

 2001-11-09(金)

  • 5時半起床。日の出前から外に出て、刻々と色を変える四万十川を眺める。ホントにキレイ。
      
  • 散歩に通りかかったおじさん(推定年齢80歳)とひとしきり話す。おじさんも昭和24年に歩きでお遍路した事があるそう。いろんな寺に伝わる話を聞く。おもしろい。でも、方言がきつくて、聞き返す事しばしば。これじゃ、英語の方がヒアリングしやすいよ。
      
  • 夜露に濡れたテントを完璧に乾かして、ゆったりと10時に出発。今日はね、高知と愛媛の県境の天狗高原に行くの。いわゆる四国カルスト。
      
  • 十和キャンプ場の兄ちゃんの話によると、国道439号は、道が狭くて、クネクネなんで、あまりオススメじゃないとの事。迂回した方が道は快適だよ、と。ありがとね、兄ちゃん。でもさ、俺さ、クネクネ道が大好きなんだよ。
      
  • 十和キャンプ場から大正温泉までは国道381を東走し、そこから兄ちゃんに否定された国道439号をひたすら北上。思った通りのグネグネ道。地元の伊豆に行きゃ、こんな道ばっかりだもんね。慣れてるのよ。バイクは快調に、高知県大正町、檮原町、東津野村を抜けて行きます。
 
国道439号は、さすが3桁国道って感じ。
大正町と檮原町の境では、既に紅葉が始まっています。
イチョウの黄色い葉が降り積もる路肩でパチリ。
  • 東津野村の中心部を抜けて、県道48号へ左折。つづらおりのタイトコーナー。楽し〜。ほとんど2速ホールドで、急坂をグイグイ登っていきます。程なく天狗高原に到着。ここから県道383号、通称「四国カルスト公園縦断線」を行く事になります。四国カルスト地帯に入る前に、まずは、カルスト学習館(国民宿舎天狗荘の付帯施設:無料)で勉強をする事に。玄関で記念撮影を・・・。
      
  • あれ?いない?スズメ先生がいらっしゃいません。途中で落としちゃった(泣)。デジカメのメモリを見てみると、先生の最後のお姿は、国道439号で写したイチョウの木の下のショットが最後。50Kmも来ちゃったよ。こりゃ見つからないね。どこで落としたか、わかんないんだから。あきらめましょう、さっぱりと。スズメ先生、四国で元気に暮らしてね。
この四国の山々のどこかにスズメ先生が居ます。
でも、範囲が広すぎて捜さらないよ〜。
先生、四国の山の中で、元気で暮らしてね。

 

スズメ先生の最後のショット。
ほら、拡大してみると、確かに写ってるでしょ。
  • 50Kmもの広範囲では、諦めるしかありません。県道383号、通称「四国カルスト公園縦断線」を西走します。四国カルストって、サンゴ礁が石灰岩化したものが隆起して、地表に姿を現した地形の事。白い岩がごろごろしてんの。
 
四国カルストにて。スズメ先生がいないので、おいら自ら被写体に。
ここでは冬になる前まで、牛の放牧が行なわれています。
なんか、ハイジが出てきそうな風景。
  • 走りながら色々考える。これまでの旅は常にスズメ先生と一緒だったし、これからスズメ先生がいないと思うと、ちょっと寂しい。
      
  • 馬鹿だと言われるかも知れないけど、スズメ先生の捜索の為、引き返す決意を固める。既にスズメ先生の最後の姿を写した地点から80Km来てしまった。見つかる確率、しかも無傷で見つかる確率はゼロに等しいけど、やっぱり放っておけない。唯一の旅の仲間なんだもの。
      
  • とりあえず、居ないのに気付いた地点、カルスト学習館まで、引き返す。ここからが正念場。どこで落としたのか分からないので、時速15Km程の微速で探索を開始する。
      
  • 県道48号では見つからなかった。国道439号東津野村にも居なかった。檮原町にも落ちてなかった。
      
  • とうとう最後の撮影ポイント、国道439号大正町に到着。結局見つからない。50Kmの道のりを3時間以上掛けて戻ったのに。路肩をくまなく見ながら運転してきたのに。
      
  • あきらめて、もと来た道を戻る。と、居た!誰かが拾って、無人販売の棚に並べておいてくれたのでした。しかも全くの無傷。ちょっと汚れちゃったけどさ。そんなの洗えば済む事じゃん。キセキかも知れない。よかった。ホントによかった。
      
  • 檮原町に戻って、道の駅檮原の付帯施設、雲の上温泉にて入浴。500円也。サウナや露天風呂もついてこの値段は安い。このあたりは標高も高く(天狗高原は、標高1500m)、体も冷え切っていたので、温泉は有り難い。ゆっくり温まる。湯上りに体重を量ったら、ジャスト75Kg。旅に出てから2Kg痩せました。
      
  • 道の駅檮原からバイクで5分の「ライダーズイン雲の上」にチェックイン。溜まった洗濯物を片付ける。明日からはまたお遍路さん。気合を入れていくぞ〜。

 ここで、今までの行動を振り返って見ることにする。あっという間の11日間だったもんね。すごく長かったような気もするし、あっという間だったような気もする。でも、着実においらの中で何かが変わろうとしてるのを感じるんだ。

 この旅について(ちょっと真面目に)

 学校を出て以来13年間勤め続けた会社を辞めて旅に出た。目的だけは「お遍路」としたけれど、それは無目的な一人旅では自分に踏ん切りがつかないような気がしたからであって、いわば目的の為の目的に過ぎなかった。

 もともと宗教心のかけらも無い生活をしてきたし、旅に際して信心が湧き上がってきた訳でもない。スタンプラリーとしての「お遍路」を選択し、その方が旅を続けるという観点において自分自身を納得させるのに好都合と判断したのだ。

 仕事の都合で仕方が無いとはいえ、10月末のスタートとなったこの旅は、まさに寒さとの戦いである。単車に乗っての移動は物理的に体温を剥奪していくし、身が冷えると精神までもが同時に冷えてくる。

 この旅で学んだ最大の事は「家」の有り難さかも知れない。

 いわゆる「雨露をしのぐ」という表現があるがこれは言い得て妙である。テントに泊まって実感するのは、雨の恐怖と翌朝の夜露の恐怖だからである。もちろんそれらをしのぐ為にテントは存在するのであるが、「家」と違って夜設営し、朝撤収する際に毎度毎度「家」の有り難さを実感する事になる。

 普通の生活においては、家に帰れば風呂が沸いており飯が作ってあり蒲団が敷いてあるのが当たり前と思っていたし、ましてやその事が有り難い等とは一切考えた事が無かった。

 話は変わるが、四国には別の空間、「御四国」が存在するという話がある。「四国」とはもちろん徳島高知愛媛香川の4県の集合体であり、日本列島を形成する重要な島の一つである事は周知である。さて問題は「御四国」の方だ。御四国とは遍路巡拝をする中で見えてくる世界であり、それは物理的には「四国」と合致しているが、あたかも異空間のように、ただし歴然と存在する世界であると文献には書いてある。

 普段の生活では考えられない「御接待」と呼ばれる自然な施しの風習や、すれ違う見知らぬ人々と交わす挨拶、自らの性格からは想像もつかない平常心の発露等、お遍路をする事によってはじめて見えてくる世界、それらの事象が起こっているフィールドの事を「御四国」と呼ぶ。

 だとすれば、今、私は、確実に御四国に居る。

 慣れぬ般若心経を唱え、灯明を献上し、線香を立てる。その行為は一見宗教的なだけに見えるかも知れないが、その実、自分自身の内面を旅しているのだと思う。

 旅は徳島高知を完了し、明日から愛媛香川に入ってゆく。ただそれは現実の「四国」にシンクロした表現であって、精神的には自分自身の内宇宙を掘り起こしているだけの行為なのかも知れない。

 女房に無理行って出させて貰ったこの旅であるが、彼女には感謝してもしきれない。このような経験が、働き盛りの36歳で出来た事は、相当な幸せであると認識する。

 芭蕉は奥の細道のなかで「月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人也」と書いているが、遍路巡拝に出ると、その意味が身を持って理解出来る。他人に押し付ける気などさらさらないが、自分の子供にはある年齢になった後、遍路巡拝に出る事を奨めてみようと思う。

【つづく】

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