しい自転車が欲しいよう。今年46歳になるってぇのに私の欲しいものときたら小学4年生並みのまま。相変わらず進歩の無い男なのであります。
暇さえあれば自転車雑誌を読み漁り、ネットを検索して情報を収集する。買うとしたら完成車ではなく、フレームやホイールや、その他部品を細かく指定し、自分専用の一台を組み上げてみたい。情報だけは耳年増的に増えていきます。別にレースに出て勝たなければならない訳でもないのに、そんな大層なスペックの自転車なんぞ必要ない事は分かっています。でも欲しいものは欲しいのでありますよ〜。
私はもう若くありません。おそらく50代になっても60代になっても自転車には乗り続けるだろうとは思うのですが、現在の質と量を保って乗り続けられるのは一体何歳頃まであろうと考えれば、残された時間は決して多くない事に気付きます。今、最も欲しいスペックの自転車を買わねば、それにはもう一生乗れないかも知れないのです。
じゃ、買えばいいじゃん。ところが問題はそんなに簡単ではありません。ロードバイクは純粋にサイクリングの為だけの乗り物。実用性はゼロであります。しかも欲しい部品を積算すれば、ちょっとした中古の軽自動車が買える程の額!必要な品であれば躊躇無く買えるでしょう。しかし完全な趣味の為のツールに数十万円も掛けるには勇気がいります。しかも、更に既に私は1台ロードバイクを所有しているのです。必要性という視点からは、甚だ説得力に欠ける状況であります。
私の欲しい自転車は、ちょっと時代に逆行した感のある、クロムモリブデン鋼製の自転車。ツールドフランスやジャパンカップを見れば、ほぼカーボン製のロードバイク一色です。軽さにしろ振動吸収性にしろ、機能的には既にカーボンにかなう素材など存在しないのです。しかし私は選手ではありません。タイムなど関係ないのです。クロムモリブデン鋼製の自転車は、しなやかな乗車感が特徴と言われます。ゆったりとサイクリングに出掛けて疲れにくい自転車。嗚呼、トコトコ走りを身上とする私の理想そのものでありましょう。
実は妄想の末、相当なスペックまでを既に決めていたりするのでありました。勿論、かみさんには内緒でですけどね。欲しいよう。欲しいよう。新しい自転車が欲しいよう。九分九厘買おうと決めているにも関わらず、あと一歩踏ん切りがつかないのは、そこに「買う必要性」が欠けているからであります。
いっさいの美しき理想は皆虚偽である。必要は最も確実なる理想である。
石川啄木著、時代閉塞の現状(岩波書店)からのお言葉です。妄想はするけれども結局は買うに至らない。決心がつかないのです。いっその事、お医者さんが「健康維持の為にブリジストンアンカーRNC7フレームは必須です」とか、明治安田生命が「変速系をデュラエースにして頂きませんと、保険料が割高になってしまいます」とか、日野税務署が「サドルをフィジークにしますと所得税の特別控除が受けられます」とか言ってくれれば、踏ん切りがつくんですがねぇ。
未だ決定的な「必要性」を見つけられない私は、相変わらずウジウジと逡巡しているばかりなのでありました。
【つづく】
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