義母との同居が始まってから、かみさんと二人だけでお出掛けする機会は当然ながら減ってしまいましたけれども、その分、介護という作業に共同で関わる事で、かみさんとの精神的な結びつきは以前より強くなった気が致します。勿論、介護において無理が禁物な事は二人とも重々承知しておりましたし、深刻になり過ぎないように留意しておりました。何しろ我々夫婦が精神的に追い込まれたとしたら、結果として一番負担に感じるのは義母本人でありますからなぁ。ま、私もかみさんも義母も、お陰様で仲良く楽しく笑顔で暮らしておりました。 こうした楽しい暮らしがずっと続くと思っていました。義母の状態も安定していましたし、私もかみさんもケアの作業が日常の一部になっていましたから。きっかけはディサービスでの骨折でした。車イスの固定が甘いまま車で移送中に、足首を捻った状態で足がシートに押しつけられてしまったのです。足首が3カ所折れてしまいました。明らかな介護事故です。患部はおろか膝下全体がパンパンに腫れてしまい、ひどく内出血もしておりました。 ディサービスを休んで自宅で静養させました。数日経って足の腫れがだいぶ引いたのでディを再開したその日の昼間に、サチュレーション(SpO2:酸素飽和度)低下が発生したとの連絡がディの看護師さんから入りました。義母は嚥下機能が下がっていて自力で痰が飲み込めませんから、2時間に一度程度、気管から痰を吸引してあげる必要があります。看護師さんからの連絡を受けて状況を確認したところ、痰は吸引したばかりとの事。この時は酸素ボンベの流量を増やす指示をして様子を見、しばらくしてサチュレーションが回復してきたので安心してしまったのでありました。今考えれば、サチュレーション低下の原因について、もっと深く突き詰めて考えてみるべきでした。 おそらくは、骨折による内出血を原因とする血栓が出来、それが肺に飛んだのではないでしょうか。下肢の血栓は肺に飛びやすいと云われます。いわゆる「エコノミー症候群」と同じロジック。肺の血管に血栓が詰まる事で、肺のガス交換機能は著しく低下します。ただし肺全体の機能が停止してしまう訳ではありませんから、酸素ボンベの流量を上げる事で症状の改善が見られたのでしょう。血栓説であれば、事象を一元的に説明出来ます。しかしこの時はここまでの考えに至る事はありませんでした。亡くなる前日の昼間の話であります。 この日の晩、午前2時半にかみさんが、更に午前3時半に私が確認した時には、義母は普通に寝ておりました。呼吸の異常は全く見られなかったのであります。ところがそれから僅か2時間後、午前5時半にかみさんが見た時には、既に義母の呼吸は停止しておりました。すぐに主治医の八幡先生に連絡するとともに、かみさんが心肺蘇生を、私は気管に貯まった痰の吸引を試みました。カテーテルは気管に入りましたが、気管にはほとんど痰が溜まっていない状態でした。私もかみさんも、その時点では痰が溜まり過ぎて気管が詰まってしまっているのではないかと考えていたので、痰が溜まっていないという事実に当惑する他はありませんでした。 気がついた時は既に呼吸が止まっていましたので、果たして心肺停止からどの位の時間が経過していたか分かりません。酸素は、ボンベの能力一杯の毎分5リットルに上げました。蘇生を続けますが心拍も振れず自発呼吸も戻りません。八幡先生が来てくれて心臓マッサージを交代しました。しかし体は暖かいのに手足や顔が冷たくなってきてしまいました。かみさんが「先生、もう・・・・。」と声を掛け、先生は心臓マッサージをやめました。私のような素人から見ても、既に亡くなっている事が分かりました。3月8日午前6時17分、義母は永眠しました。苦しんだ様子はなく安らかな顔でした。 前日の昼間と同様に、血栓による肺機能低下が起こったのだとすれば、まさに眠るように逝ったのでしょう。老人の骨折は怖いという話を何度も聞いていましたが、まさにその通りの事が起こってしまいました。 亡くなる2週間前に、千葉の木更津のアウトレットに出掛けて観覧車に乗った事を思い出します。最近の観覧車は車イスでも乗せてくれるのであります。木更津から東京湾を隔てて東京スカイツリーがはっきり見えました。義母も大層喜んでいました。上手く喋る事は出来ませんでしたが、意志の疎通は出来ていました。特に春になって調子が徐々に上がってきていましたから、かえすがえすもディサービスでの骨折事故が、悔やまれてなりません。 人間いつかは逝くのだとすれば、家族に囲まれ安心して生活し、外出を楽しみ、眠るように亡くなったのですから、よしとするべきかも知れません。 子供と孫だけの家族葬で見送りをしました。葬儀屋さんにお花をたくさん頼みましたから、お棺の中は何層もの花で一杯になりました。よくあるお葬式用の花ではなく、普通の春っぽいお花にして貰いました。なにしろ義母はお花の好きな人でしたから。
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