私の場合、仕事場も住まいも日野市内。一応は東京都民でありますけれども、大概の買い物は立川とか多摩センターとか、近所で 高幡不動では小降りだったのに、新宿は結構降っています。今日は一日雨かなぁ。雨の中、傘を差しながら上野公園を散歩するのも億劫です。とりあえず南口の東急ハンズで雨宿りして、雨の様子を見てみる事にしました。 良い香りのするお風呂に入れるローズマリーのアロマオイルを買ったり、かみさん用の可愛い弁当箱を物色したり、正しい珈琲の淹れ方講座を眺めたりして時間を潰しましたが、結局、雨は相変わらずシトシトと止む気配をみせません。当初の、上野公園を散策しつつ買い食いしたりビール飲んだりという計画は、こりゃ諦めざるを得ませんな。そろそろお昼。おなかも空いて参りました。南口の高島屋の高層階のレストランモールで何か食べようかとも思いましたが、何じゃこりゃという程高価い値段に 結局、ヨドバシカメラ裏のトンカツ屋に入って、常識的なお値段のトンカツ定食を頂きました。ついでにビールを注文したのはご愛敬。だってホントは花見の トンカツ屋を出ても相変わらず雨。今日は桜は諦めて、のそのそと家に帰る事にします。ヨドバシカメラの横を通って西口の地下道に入ろうとしたところ、突然 新宿駅西口に位置する安田生命第二ビルの1Fには京王のチケッティング・センタが入っていて、中央道方面の高速バスの発着場となっております。長野県にある大学を卒業して都内のIT企業に勤め始めた私は、かみさんとの遠距離恋愛を余儀なくされました。当時新入社員で貧乏だった私とかみさんは、高価な特急あずさ号を利用するのが惜しくて、廉価な高速バスで長野と東京を互いに行き来していたのであります。昭和が終わり、平成に入ったばかりの頃のお話であります。 当時はネット予約システムなどありません。京王バス予約センターに電話して席を押さえるのであります。我々のような遠距離恋愛組も結構居たように思います。少しでも長く会っていられる最終バスの人気は高く、終バスの希望を入れても実際に予約が取れるのは、決まって終バスの2〜3本前でありました。土曜日の朝一番バスで上京したかみさんと土日をフルに一緒に過ごすのですが、帰らねばならない日曜日の夕方が近づくとお互いに口数が少なくなってしまったものであります。ノロノロと新宿に移動します。安田生命第二ビル1Fのチケットセンターで長野行きのバスのチケットを発券して貰うのです。電話だけでは予約は完結せず、発券センターでお金を払って発券が済むまで、席は確保された事になりません。発車15分前までに発券処理を完了させておかないと、折角電話で予約してあってもその予約は取り消し扱いとなり、キャンセル待ちに回されてしまうのでありました。 本当は土曜の朝に新宿に着いた時点で帰りのチケットを確定させてしまえば楽なのです。でも何故わざわざ予約を確定させないかというと、安田生命第二ビル1Fのチケットセンターの予約状況ボードを確かめてからチケットを確定させたいと考えるからなのでありました。取り敢えず終バスの2〜3本前の予約を確保している状態で、最終バスの予約状況を確認します。やった!一席キャンセルが出た模様!素早く最終バスの席を取り発券を済ませた上で、押さえてあったバスの予約をリリースします。これであと1時間半余分にかみさんと過ごせる事になりました。バスの時間がありますから新宿から離れる事は ギリギリまで別れを惜しむ、甘く切なく懐かしい思い出であります。あの頃は長野に帰る度にメソメソしてたもんなぁ。我々にとって、新宿西口の安田生命第二ビルは特別な場所でありました。定刻になるとバスはヨドバシカメラとの間の路地を縫うように進み、ビルの角を左折します。大型バスが曲がるにはギリギリの道幅しか無く、角には腕章をつけた専門の誘導員が居たものであります。バスは西口ロータリーを一周した後、甲州街道に右折して初台ランプから首都高4号線に上がるのです。ロータリーで転回して反対車線を甲州街道に向かうバスに手を振って見送り、トボトボと独身寮のある千葉の 若かったあの頃に戻ってみたいとも思う反面、いつでも一緒に居られる現在の幸せは絶対に捨て難い。かみさんと結婚した時に一番強く印象に残っているのは、嗚呼これでもう安田生命第二ビルでメソメソしなくて済むと思った事でしたもの。今は時間など気にする事なく、いつでも二人で一緒に過ごせます。あれから25年以上が経ちました。二人とも相応に歳を取りましたけれども、相変わらず二人でデートにお出掛けするのは続いていて、いやあ、あの遠距離恋愛時代に比べれば幸せな時間を過ごせている事に、ただただ感謝なのでありました。
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