野に居を移して一番違和感を覚えた事は、地元の方との大学進学についての考え方の違いでありました。我が程久保基地からほど近くには、中央大学、明星大学、首都大学東京(旧都立大学)東京薬科大学、一橋大学、大妻女子大学、多摩大学、帝京大学など多くの大学があります。元々都心にあったキャンパスが手狭になり、多摩地区にキャンパスを新設したり移転したりと云ったムーブメントがあった事も一因だとは思うのですが、この辺りには地方の事情からは考えられない程、多くの大学が集まっているのです。
私は静岡県沼津市の出身であります。近くにほとんど大学が無い状況の中で、大学進学とは、すなわち一人暮らしを意味しておりました。勿論、日大三島キャンパスなど有るには有るのですが、学生のキャパシティという面から考えれば「ほとんど大学が無い」といっても過言ではない状況でありました。今は新幹線通学などの様々なオプションが選択可能になったとは云え、やはり大学進学=実家を出て一人暮らしをする、という図式は、沼津では今でも割と標準的な考え方であると思うのです。
こんな状況もあり、私が高校生だった頃、進学のターゲットは全国に広がっていました。どのような大学、学部学科に進むにしろ、それが東京の大学だろうと北海道の大学だろうと、関係なかったのであります。いずれにしろ一人暮らしは必須でありましたからね。そんな事情もあり、立地など一切考えず「自分の専攻したい学部学科」という理由だけで志望を選定したのであります。ま、大学というのは本来専門課程を修めるところでありますから、こうした志望の絞り込み方法は、あながち間違いではなかったでしょう。
程久保基地のご近所さんに高校生のお子さんのいらっしゃるうちがあります。ここの娘さんは明星大学への進学を希望されているとの事でしたので、志望学科をお聞きしたところ「特に無い」との事。しかも明星大学への志望動機は「家から近くて通いやすいから」というではありませんか。更に彼女のお友達の多くが似たような理由で志望校を決めているとの事で、私はこうした考えに大いに違和感を感じてしまったのでありました。
私は学生時代、ひどい劣等生でありましたので、大学で学んだ事は何かと問われましても、酒の呑み方とか麻雀のやり方とか効率の良いアルバイトの見分け方とか、そういった下らない事ばかりになってしまうんですけれども、少なくとも入学の際にはそれなりの大志を抱いていた事は確かであります。大学入学時は未成年でありましたから、本当は酒も煙草も御法度であった筈。しかし当時の日本には「大学生は大人扱い」という暗黙の了解が確かにあり、縄手通りを酔っぱらって歩いていても、松本城のお堀端で煙草を吸っていても、注意された事など一回もありませんでした。そう、あの頃街の人々は我々を「学生さん」という風に、さん付けで呼んでくれていたものです。私にとっては、大学生=大人になる事、だったのでありました。
ところが程久保基地の近所では高校の延長のような感じで大学進学が捉えられていて、私としては大いなる違和感を覚えるとともに、ちょっと情けない感じと申しますか、大人になり切れていない一種チャイルディッシュなものを感じてしまうのでありました。
先日、高橋絵里香著「青い光が見えたから」(講談社)を読む機会を得ました。北海道の中学を卒業し、単身フィンランドへ留学した作者の実体験をエッセイ風にまとめた、とても読みやすい本であります。学生にとって授業も大切ですが、もっと大切なのは新しい生活環境を自力で整えていく経験を得る事でありましょう。この本では新たなコミュニティの中で自分の居場所を造っていく、彼女のイキイキとした様子が描かれています。彼女の場合は中学卒業と同時に単身フィンランドに渡った訳で、その苦労やプレッシャーは、さぞや筆舌に尽くし難いものであったと想像されます。それを明るく乗り越えていく行為が、彼女を大人にしていったに違いありません。
私の抱いた違和感は、こうした、若い人が一人で居場所を切り開いていく労苦をスポイルする環境に対するものであった訳です。可愛い子には旅をさせよ。昔の人は上手い事を云うもんですなぁ。うちの子供達が将来何を専攻しようと彼らの自由に任せようと思いますが、是非とも高校卒業と同時に一人暮らしを始め、独立心や生活力をつけて貰いたいと切に願うのでありました。
【つづく】
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