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  遊びのアンテナ、のばしてるかい?(第14話:時の流れが加速するように感じる篇) 

供の頃って、一日が今よりもはるかに長く感じていたように思います。小学校の低学年では、授業が終わって下校するのが午後3時くらい。家に帰っておやつ食べて、再び外に遊びに出ます。自転車で宮前公園へ行ったり、浅間(せんげん)神社へ行ったり、駄菓子屋の野秋商店へ行ったり、近所に幾つか存在する子供たちの溜まり場を巡ると、大概どこかで仲間に落ち合え、それから遊びに移行したものであります。メンコ、缶蹴り、ビー玉などに興じたり、自転車で校区外へ遠出したり、たっぷり遊んでも中々陽が暮れなかった印象が残っています。夕方6時過ぎにはお腹を減らして家に戻っていたのですから、遊んでいたのは正味3時間程の筈。あの頃は確かに一日が長かった。時間は今よりもはるかにゆったりと流れていたように思うのです。

 何の本で読んだのかは残念ながら失念してしまいましたが、人間は記憶の生き物なのだそうです。今まで生きてきた記憶の蓄積こそが、自分自身の人格そのものであるとの事。もしその説が正しいとすれば、5歳の頃の1年間は人生の5分の1に相当するのに対して、50歳の時点での1年間は人生の50分の1に過ぎない訳で、感覚として、時の流れの早さを10倍位に感じたとしても、数学的には説明がつこうというものであります。

 それにしても、最近とみに時の流れが早くなった事を実感致します。その最たるモノがテレビ番組。休日の晩に「世界の果てまで行ってQ」を観て、嗚呼もう一週間経ってしまったのだと愕然(がくぜん)とする事もしばしばでありますよ。それにしても一週間って短いっすよね。

 時の流れが早くなったように感じる事を嘆いても仕方ありません。こうした現象は私に限った事ではなく、歳をとるに従って誰もが感じる感覚なのでしょうからね。問題なのは、折角遊ぶ時間を確保したとして、それが年々短くなったかのように感じてしまう事実でしょう。我々は、幼少の頃以上に積極的に、遊びの時間を確保しなければならない事を、肝に銘じておくべきかも知れません。決して焦って生きる必要はないと思います。しかし漫然と過ごしても大丈夫な程、オサ〜ンである私にとって人生の残り時間は長くは無いのでありました。

 私はいわゆる働き盛りと呼ばれる年代であります。黙っていても仕事にまつわる雑多な作業が入ってきて、普通にしていたら遊びに使える時間は減るばかり。勿論仕事を(ないがし)ろにして遊びに没頭出来る程の貯金や不労所得がある訳でもなく、仕事を無視出来る筈もないのですが、そうした環境の中でも、貪欲に能動的に積極的に、遊びの時間を確保していこうと思うのでありました。Copyright (C) by Yas / YasZone

【つづく】

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