校生の頃からずっと理系人間として生きてきたからかも知れませんが、実は文系的な事象に対して、大いなるコンプレックスを抱えております。コンプレックスと申しましても決して病的という程のモノではありません。しかし、活字中毒と云って差し支えない程の現在の読書量などを考えますと、こうした文系コンプレックスの反動に他ならないのではないかと思うのです。
コンプレックスを意識し始めたのは、大学に入ってしばらく経った頃。今でもそうかも知れませんけれども、当時、地方の大学の理系の学科などというものは、まさにオタクと変人の魔窟でありました。喫茶店で「砂糖」という言葉が出てこずに「C6H12O6下さい」と云ってしまったり、合コンの場で久し振りに女の子と話した事で舞い上がってしまい、エントロピーの増大と熱力学第二法則について滔々と弁じ立ててしまったり、3.03cmの虫にも1.515cmの魂、などと何でもかんでもメートル法に換算してしまったり、普通に5千円と云えば良いのに、今月苦しいので5.0×103 円貸してくれないかなぁ、とか指数表記してみたりといった、我が学友たちの奇異極まる行動に触れるうちに、これではイケナイという気持ちが沸々とわき上がってきたのでありました。
魔窟の住民になったら終わりだという危機感だけは持っておりましたが、それでは実際どのようなアクションを起こしたのかといえば、お金が無い事もあり、図書館から借りた文学作品を読み漁るくらいが関の山。「漱石の『こころ』は秀逸だ」と聞き、慌てて読んでみたところ、どこが面白いのかさっぱり理解出来ないのでありました。前半は「先生」に対する「私」のボーイズ・ラブ的な憧れの話がダラダラ続きます。その「先生」にしろ、「静」に対する煮え切らない態度が「友人K」を自殺に追い込んでしまうくらい鬱屈した性格ですし、いつの間にか一緒に住んで下宿代を浮かすといった打算的で嫌なヤツでもあります。しかも、そもそも小説の後半は全て「先生」の遺書だけで構成されるという、一種猟奇的な、ヘンテコリンな、キチガイ人間ばかり登場する、屈折した小説だ、という印象しか持てませんでした。「先生」の自殺は明治天皇の崩御と乃木大将の殉死に触発されたとあり、今思えば、漱石は、この小説に政治的社会的な意味をも込めようとしたのかも知れませんがね。そういえば元々新聞連載小説な訳ですし。とにかく当時の私にとって、「こころ」は全く面白くない小説であったのです。勿論、周囲に対しては「やっぱり漱石は天才だよな」などと嘘の感想を吹聴し、さも文学に対する造詣が深いフリを演じ続けたのは云うまでもありませんが。
このように、活字に触れるようになったきっかけ自体は、至って不純なモノでありましたけれども、理解出来ないなりにも乱読し、さも分かったフリをするという行為を繰り返した事は、結果として、それ程悪いモノではなかったと断言出来ます。少なくとも書籍に対するアレルギーを感じる事は一切なくなりましたからね。
大量の小説を読み漁る生活を続けますと、批評家的な眼だけは肥えて参ります。すると不思議な事に、読むだけでなく、自分で文章を書いてみたくなるのですなぁ。こうした書きたいという欲求の格好の捌け口が、実はYaszoneなのでありました。一般的なブロガーの方は割と書きっ放しで文章の推敲が甘かったり、そもそもTwitterなどに至っては、文章と云うより「つぶやき」であったりするのに対し、Yaszoneの原稿はかなり事前からプロットや構成を考え、文章に起こし、何度も推敲した上で、初めてWEB上にディスクローズするというプロセスを頑として守り続けています。そうです。Yaszoneは、ブログというよりはネット上の「書籍」であり、私は疑似的に「作家」と「編集者」を演じているのでありました。一言で云えば、出版ごっこであります。
実は、Yaszoneの原稿は、プリントアウトした上で、全てファイリングしてあります。私、乙女座のA型でありまして、意外にも割と几帳面だったりするのですよ。実に、A4の紙で約950枚。これだけの量の文章を、シコシコと書いて推敲してという作業を毎週々々続けてきた訳で、こうなりゃ、Yaszoneの維持作業、すなわち出版ごっこ自体、もう立派な趣味と呼んでも差し支えないでしょう。私の遊びのアンテナが、今後どちらを向いていくのかは不確定な点を含んでおりますけれども、少なくとも、Yaszoneを使った出版ごっこが、遊びにおける重要な位置を占めて行く事は、間違いなかろうと思うのです。
【つづく】
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